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にらめったー(NearMetter)とは、気になる2人のTwitterユーザー対談が見られるツイ談(Twi談)サイトです。

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取得可能 (最終取得時間:2011-03-02 07:55:35)

adachibnon54 のツイ談  

non54

お気持ちも分かりますが、私にはなんとなくあなたが鹿鳴館で踊っている貴婦人のように見えないでもありません。@adachib 殺されるイルカがかわいそうってこともあるけど、これは私の日本人としてのプライドの問題なのよ。

2011-02-25 09:18:37 - 返信元ツイートを取得する

 

adachib

鹿鳴館で踊ってた人たちは元は芸者さんでも貴婦人になろうとしていた。あの頃の日本人は頑張ってたんですよ。それで今の日本がある。@non54

2011-02-25 09:26:39 - 返信元ツイートを取得する

 

non54

いや、「元は芸者さん」という意味ではなくて、西洋の価値観に対する立ち位置のことを指して言いました。当時の西洋列強による帝国主義の世界で、ちょんまげ、帯刀をどう見たか、というのと通じるところがあるのではないでしょうか。@adachib あの頃の日本人は頑張ってたんですよ。

2011-02-25 10:12:48 - 返信元ツイートを取得する

 

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non54

同列ということではないですが、特定の集団の価値観を否定する際の根拠が、海外にあるとすれば、その点で同じです。当時も西洋の価値観に合わせて、武士の価値観が否定されました。今になって、海外でもてはやされるからブランドになっていますけど。@adachib 個人的に武士道はリスペクトして

2011-02-25 10:41:41 - 返信元ツイートを取得する

 

non54

「日本人として」イルカを守りたい、という価値観がどこから来ているのか、ということが気になっただけです。国籍がどこかなどというのは、動物愛護の精神から言えば関係ないと思うのですが、体面を気にしてであれば、なぜその方向に顔が向いているのか、という問題が出てきます。@adachib

2011-02-25 10:50:48 - 返信元ツイートを取得する

 

adachib

それでは「特定の集団の価値観を否定する際の根拠が、海外にある」場合、その「否定する」という行為は「すべて」誤りなのでしょうか?@non54

2011-02-25 10:51:40 - 返信元ツイートを取得する

 

adachib

ほかの生き物が苦しんでいるのを見て耐えられないと感じるのは、おそらく人類に共通する感性。「その感性を日本人が欠いていると思われたくない」と感じているのが日本人としての私、ということになるでしょうか。@non54

2011-02-25 10:59:37 - 返信元ツイートを取得する

 

non54

これは自然か文化かという論争になる事項だと思うのですが、私は文化の方を取ります。つまり様々な教育によって、他人の痛みを共感することができるようになる、という立場です。@adachib ほかの生き物が苦しんでいるのを見て耐えられないと感じるのは、おそらく人類に共通する感性。

2011-02-25 15:00:27 - 返信元ツイートを取得する

 

non54

日本では他の国に比べて、相手に共感する教育がきめ細かく行われています。つまり「他人の立場になって考える」という教育が伝統的に比較的重視されている国です。でも戦時中には軽視されますし、マフィアで若いうちから特定の価値観を刷り込まれることで殺人にも無感覚になります。@adachib

2011-02-25 15:08:29 - 返信元ツイートを取得する

 

non54

もちろん現代で、他人の痛みを理解できるように教育することは大切なので、それを否定してはいません。ただ文化起源説を取った場合、なぜ特定の動物の痛みを共感する教育をしなければいけないのか、という価値基準が必要になってくるので、それが誰の基準か、という問題が出てきます。@adachib

2011-02-25 15:14:03 - 返信元ツイートを取得する

 

non54

痛みを共感するのが自然だとすれば、ミミズが車に轢かれたり、アリが踏み潰されることにも同様に可哀想だと感じてもいいですが、教育無しに子供にそういう感情が芽生えるかどうか、ちょっと疑問が残ります。でもあなたが自然起源論を取るのであれば、そういう立場もありでしょうか。@adachib

2011-02-25 15:17:51 - 返信元ツイートを取得する

 

non54

これはちょっと複雑で、@adachibさんの言うように生得的で、「憐れみをかける対象としての生物」の範囲が認知的に、文化間で差異があるいうことなのかもしれません。@jet_li_ozaki

2011-02-25 15:53:36 - 返信元ツイートを取得する

 

adachib

最近読んだ動物行動学の本に(『共感の時代へ』)、「他の生き物の苦痛を目にして自らも苦痛を感じるのはヒトだけではない(たとえばネズミもそうである)」ことを証明した実験について書かれていました。文化起源だけではないと思います。@non54

2011-02-25 22:24:56 - 返信元ツイートを取得する

 

adachib

小学校低学年くらいまではアリを踏みつぶすことを何とも思いませんでしたが、ある時からかわいそうだと思うようになりました。でも犬のぬいぐるみは幼稚園にあがる前から可愛がっていたので、「近接性」も重要なポイントになると思います。@non54

2011-02-25 22:27:24 - 返信元ツイートを取得する

 

adachib

近接性とはたとえばサンデル教授の問いの立て方によれば、目の前に溺れている人が二人いるとして一人は赤の他人、一人は自分の親、さてどちらを助けますか、という問題のようです。(ちなみにコイントスで決めるのがリバータリアン。「じゃあ牛は豚は植物は?」な人はこれに似てるかも)@non54

2011-02-25 22:34:31 - 返信元ツイートを取得する

 

adachib

特に教育をされなくても、犬や猫やイルカなど「人間とある程度意志の疎通が出来るかのように思える」動物の苦痛に共感する感情は厳としてして自分のうちにあるということは言えます。文化と自然、いずれが起源であるにせよ、存在してしまっているものは仕方がないと。@non54

2011-02-25 22:38:32 - 返信元ツイートを取得する

 

adachib

日本の教育についてはかなり異論があります。「相手に共感する教育がきめ細かく行われて」いるのなら、学校でもネットでもこんなにいじめがあるはずはないし、自殺者も多くはないだろうと。むしろ「まわりを良く見て周囲に合わせる教育」ではないですか?同調圧力。@non54

2011-02-25 22:42:45 - 返信元ツイートを取得する

 

non54

いちゃもんをつけるわけではないのですが、「日本の教育」も合わせて「教育」という言葉について確認しておきたいと思います。「存在してしまっているものは仕方がない」というのは分かりますので。@adachib 特に教育をされなくても

2011-02-25 23:35:16 - 返信元ツイートを取得する

 

non54

まず、教育というのは、狭義に親から子、先生から生徒、という直接的なものと、広義にメディアや同輩集団などから間接的に特定の価値や内容や技能を教えられるものとします。「相手に共感する教育」というのは、一言で言うと「相手のことを考えなさい」という言葉です。@adachib

2011-02-25 23:41:41 - 返信元ツイートを取得する

 

non54

私は世界中に住んでいるわけではありませんから、日本が一番とか、ランキングを出せるわけではありませんが、「相手の身になって考えろ」という言葉が日常の親子の会話、先生と生徒の会話、友人同士の会話、メディアを介したやりとり、でそれなりに耳にする言葉ではないでしょうか。@adachib

2011-02-25 23:45:54 - 返信元ツイートを取得する

 

non54

コミュニケーション能力に障害があって、共感する能力が育たない人がいますが、それは置いておいて、共感する相手、状況が限られてしまうのが、いじめでしょう。相手に同調する、という同調圧力に屈するのも共感する能力です。また共感してても行動に移す能力がなければそれだけです。@adachib

2011-02-26 00:01:33 - 返信元ツイートを取得する

 

non54

その解釈の仕方が、文化的であり、特定の表情・声を見たときに、相手が楽しんでいる、悲しんでいる、という判断を下すようになるのは、狭義、広義の教育の成果でしょう。感情が普遍的であるとしても、感情の表出の仕方がそうとは言えないのではないですか。@adachib

2011-02-26 00:14:31 - 返信元ツイートを取得する

 

non54

そこで「近接性」も踏まえて、「意志の疎通が出来るかのように思える」かどうかというのも教育の賜物であって、アニミズムの視点では非生物、自然現象がコミュニケーションの対象です。雷が鳴ったときに「雷神さんが怒っている」という表現になるのも、いわば創造作家のお仕事です。@adachib

2011-02-26 00:28:56 - 返信元ツイートを取得する

 

non54

日本の伝統として、「ものに感謝する」というのがありますが、これも共感です。科学的に見れば、感情などないものに対して、自分の感情を投影する、というのが日本の文化のアニミズム的な要素であり、私が「共感する教育がきめ細かい」という理由の一つです。@adachib

2011-02-26 00:29:18 - 返信元ツイートを取得する

 

non54

短編アニメでオスカー賞を取った加藤久仁生氏が受賞スピーチで、"Thank you, my pencil."と言いましたが、日本人には違和感がなくても、海外ではその感情が理解できなかった人がいたようで、一時Youtubeに結構コメントがありました。これも教育です。@adachib

2011-02-26 00:35:39 - 返信元ツイートを取得する

 

non54

そこで、片や鉛筆や針に共感することがないのに、犬や猫やイルカには共感する、というのは、共感が文化的なものを多分に含んでいる、と言っていいのではないでしょうか。とすれば、イルカに共感しないからといって、その人たちを責めるのは筋違いではないか、という結論になります。@adachib

2011-02-26 00:44:17 - 返信元ツイートを取得する

 

non54

補足ですが、アニミズムが教育で培われるか、というと控えめに考えるべきかもしれません。子供が親の干渉なく自然を人間と同列で考えるのであれば、その共感は教育というよりは生得的でしょう。ただそれを「そうだね」「違う」と大人がコントロールするのは教育であり文化でしょう。@adachib

2011-02-26 03:15:09 - 返信元ツイートを取得する

 

non54

実際の日本の親子関係で、子供に物を大切にすることを教えるときに、擬人化しているケースも結構あるようなので、それは教育と言うことになります。食べ物を残したときに、残された食べ物が「かわいそうだよ」とか、無駄にしたときに物が「泣いてるよ」、と言うのがその例ですね。@adachib

2011-02-26 03:20:01 - 返信元ツイートを取得する

 

adachib

アニミズムが日本固有のものかというとかなり疑問です。英国ロマン派の詩には「西風に寄せる歌」(シェリー)、「ギリシアの壺に寄 せるオード」という二大名作があり、どちらも「人間ではないもの」に「汝」と呼びかけています。@non54

2011-02-26 19:29:13 - 返信元ツイートを取得する

 

adachib

またオペラのアリアにも、これから質入れする外套に語りかける(ラ・ボエーム)・二人でかつて暮らした隠れ家に別れを告げる(蝶々夫人)・同じく二人で暮らした家の小さなテーブルに別れを告げる(マノン)など有名どころが目白押しです。@non54

2011-02-26 19:34:56 - 返信元ツイートを取得する

 

adachib

つまり非生物を擬人化することは「共感」ではなく、その物体とともにあった自らの時間と記憶を語る行為かと思われます。@non54

2011-02-26 19:38:46 - 返信元ツイートを取得する

 

adachib

ゆえに例としてあげられた加藤久仁生氏のオスカー受賞スピーチ、"Thank you, my pencil."も、文化の違いというよりは「物に仮託して自らの記憶と時間と想いを語る」技術、もしくは修辞が稚拙であったがゆえに理解されなかった、と取るべきだと私は思います。@non54

2011-02-26 19:42:02 - 返信元ツイートを取得する

 

adachib

話をイルカ猟に戻しますと、おそらく私がイルカを擬人化して自らの想いを投影しているとおっしゃりたいのかもしれませんが、幸い私は目の前で家族を皆殺しにされたことなどはないので、それは違うと言い切れます。@non54

2011-02-26 19:45:48 - 返信元ツイートを取得する

 

adachib

また「イルカに共感しない=殺されるイルカをかわいそうだと思わない」人を責めているわけでもないので、その点は誤解のないようにお願いします。責めたところでイルカを助けることにはなりませんので。無駄なことをするつもりはありません。@non54

2011-02-26 19:48:32 - 返信元ツイートを取得する

 

adachib

結論めいたもの(を出す必要もないですが一応)を書いておきますと、擬人化と共感は違う&擬人化は要するに「自分語り」であり、他者への共感からはおそらく対極にあるもの&擬人化による自分語りで他人を納得させるには技術が必要だよ、というあたりになるでしょうか。@non54

2011-02-26 19:53:11 - 返信元ツイートを取得する

 

non54

ちょっと休日の間パソコンから離れていたのでリプライが遅くなりました。まず問題の整理だけしておきましょうか。話題は、イルカの痛みに対する共感が、人類普遍に起こりうるか、文化的なものか、でした。それで結局は、どちらであってもすでにある感情はどうしようもない、と。@adachib

2011-02-28 16:23:25 - 返信元ツイートを取得する

 

non54

そこで終わっても良かったのですが、次のところに疑念を挟まれたので、話が続きました。RT「日本では他の国に比べて、相手に共感する教育がきめ細かく行われています。つまり「他人の立場になって考える」という教育が伝統的に比較的重視されている国です。」@adachib

2011-02-28 16:27:50 - 返信元ツイートを取得する

 

non54

私はランキングをつけられるわけではないけれども、と前置きをして、日本の「他人の身になって考える」という話と、アニミズムの話を挙げて、共感する狭義、広義の教育が存在すること、その幅が生物に限られないこと、を述べました。@adachib

2011-02-28 16:33:10 - 返信元ツイートを取得する

 

non54

以上のことを踏まえてですが、まず、アニミズムは日本固有のものではありません。当然イギリスにもありますし、インドネシアにもあります。私はむしろアニミズムが普遍ではなかろうか、という話をしていました。@adachib アニミズムが日本固有のものかというとかなり疑問です。

2011-02-28 16:36:04 - 返信元ツイートを取得する

 

non54

アニミズム的な世界観が、特定の文化内では原始的だという見方をされるために、子供の発想、として大人によりコントロールされるのでは、という話でした。@adachib

2011-02-28 16:43:27 - 返信元ツイートを取得する

 

non54

そこでですが、私は以下の結論が、私の言っていることのどこを否定して生まれてきた結論なのかが分かりません。@adachib 擬人化と共感は違う&擬人化は要するに「自分語り」であり、他者への共感からはおそらく対極にあるもの&擬人化による自分語りで他人を納得させるには技術が必要だよ

2011-02-28 16:45:21 - 返信元ツイートを取得する

 

non54

私は、「共感」も「自分語り」だ、と言っています。共感している相手が実際に何を感じているか分からずに、相手がこういう感情を持っているに違いない、と信じているだけなのが共感です。もちろん、本人に確認することはできますが、それは時間的に共感の後の話です。@adachib

2011-02-28 16:48:28 - 返信元ツイートを取得する

 

non54

私は擬人化の例で、母と子の食べ物の例を挙げましたが、あなたの言う「その物体とともにあった自らの時間と記憶を語る行為」というのが、どう当てはまるのか分かりません。食べ残しを防ぐために、「残したらかわいそう」とか、物を粗末にしないために「物が泣いている」という表現 @adachib

2011-02-28 17:09:31 - 返信元ツイートを取得する

 

non54

のどこにお母さんの「その物体とともにあった自らの時間と記憶」というのがあるのでしょうか。それに文脈は「教育」の話でしたから、焦点は擬人化をする母親ではなく、子供の感情の方です。擬人化を介して、子供が物に対して、人間と同じような感情を持つように教育する、という事です@adachib

2011-02-28 17:15:08 - 返信元ツイートを取得する

 

adachib

おっしゃるように「子供が物に対して、人間と同じような感情を持つように教育する」ケースが日本では多い、と仮定して、それは「そのような教育を受けて大人になった日本人一般」の具体的にはどのような行動に表れているとお考えですか?(オスカーのスピーチ以外の例でお願いします)@non54

2011-02-28 17:32:52 - 返信元ツイートを取得する

 

non54

少ない文字数で詰めて書いた言葉尻をとらえられると嫌ですので、きちんと書いておきますが、「子供が物に対して、人間と同じような感情を持っているかのように信じるよう親が教育する」が正しいです。@adachib 子供が物に対して、人間と同じような感情を持つように教育する」ケース

2011-02-28 18:05:18 - 返信元ツイートを取得する

 

non54

そして、その例としては、大きなレベルでは、神道で神様を奉ることでしょうか。もっと身近な例で言えば、私が挙げたように、親が子供の行動をコントロールするために使用することでしょうか。@adachib

2011-02-28 18:10:27 - 返信元ツイートを取得する

 

adachib

あげられた二つの例ともに、どちらかというと「功利的」な印象を受けてしまうのですが。あまり何も考えずにクリスマスの一週間後に初詣に行く人たちであるとか、自己の責任においてではなく、何かほかのものに責任を転嫁する形で子供をコントロールしようとする親であるとか。@non54

2011-02-28 18:20:27 - 返信元ツイートを取得する

 

adachib

そのような教育が、もっと道徳的に望ましい形で結実している例をあげていただけると、日本の将来に希望が持てるのではないかと思います。@non54

2011-02-28 18:22:43 - 返信元ツイートを取得する

 

non54

これはまたいきなり随分話が飛びますね。どうぞそのまま話を続けてください。話についていけると思った時点でリプライをします。@adachib あげられた二つの例ともに、どちらかというと「功利的」な印象を受けてしまうのですが。

2011-02-28 18:25:20 - 返信元ツイートを取得する

 

non54

「道徳的に望ましい形」というのを説明してください。@adachib 道徳的に望ましい形で結実

2011-02-28 18:28:08 - 返信元ツイートを取得する

 

adachib

一応私のほうはこれで終わりです。やりとりのうちで思い当たったこともあったので(日本文化の特殊性は「愛し共感すると表明した対象にひどいことをする」点にあるのではないか、という可能性)私としては有意義でした。ありがとうございます。@non54

2011-02-28 18:28:52 - 返信元ツイートを取得する

 

adachib

そのような教育を受けて育った日本人が「功利主義以外の価値観」で行動しているかのように見える例、というほどの意味です。@non54

2011-02-28 18:30:24 - 返信元ツイートを取得する

 

non54

ついでなので、「功利主義」も説明してもらえますか?@adachib そのような教育を受けて育った日本人が「功利主義以外の価値観」で行動しているかのように見える例、というほどの意味です。

2011-02-28 18:32:34 - 返信元ツイートを取得する

 

non54

共感することと愛することは同じではないですし、痛みを共感するにはその教育が必要です。何に共感するように教育されるか、というのが文化だ、というのは既に述べました。@adachib 日本文化の特殊性は「愛し共感すると表明した対象にひどいことをする」点にあるのではないか、という可能性

2011-02-28 18:38:37 - 返信元ツイートを取得する

 

adachib

初詣に行く人は何らかの見返りを求めて賽銭を投げるのだろうし、「〜はいけないことだからやめなさい」と子供に言うかわりに、「〜が泣いているよ」と責任を転嫁するのはコミュニケーションにおいて楽をしようとする行為なので、そのあたりが功利主義と私には思えます。@non54

2011-02-28 19:28:51 - 返信元ツイートを取得する

 

non54

文脈や定義が都合のいいように変わっていくのは難癖です。@adachib 初詣に行く人は何らかの見返りを求めて賽銭を投げるのだろうし、「〜はいけないことだからやめなさい」と子供に言うかわりに、「〜が泣いているよ」と責任を転嫁するのはコミュニケーションにおいて楽をしようとする行為

2011-03-01 02:50:07 - 返信元ツイートを取得する

 

non54

何を例として挙げても「功利主義」になってしまう非生産的な状況に陥ったので、あなたとのやり取りは以上とします。ありがとうございました。@adachib

2011-03-01 03:02:35 - 返信元ツイートを取得する

 

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